プロフィール

福島県生まれ、宮城県育ち、結婚により山形県へ引っ越し、現在は秋田県へ移住。

東北4県またにかけております(笑)

 

 

小さい頃から、「存在達」と遊んでいました。

留守番をしていると、天使たちが出てきて遊んでくれているので、留守番が寂しいと思ったことはありませんでした。「一人になると出てきてくれる友達」と思っていましたから。。。

大人になって知ります。まさか、ほかの人には見えていなかったなんて・・・・。

 

 

家族全員がそこにいるのに、階段を降りる音とかも。

あとになってから知りますが、まさか、私しか聞こえていなかったなんて・・・・。

 

 

小さいときは、よく、木や石の声、花の歌を聴いていたような気がします。それが幼稚園、小学校と成長していくと段々と思考優位になりますから、そんなことを見たり聞いたり受容することにブロックをしていくようになります。

 

 

まるで、人生の痛みを感じないために、段々と感じる感覚を閉じていってしまいました。

 

 

心も感覚も閉じて、やがて自分は何者なのかも、

何をしたいのかも、何のために生きたいのか、

霧の中を、またはある時は暗黒の闇の中を生きるようになりました。

 

 

感じたくないし、見たくない。

 

 

視野を狭くし、できるだけ目を背け、見ないように、

聞こえないように、そして目立たないように、自分というものを押し殺し、人ごみに紛れるように生きてきました。

 

 

息を殺し、耳をふさぎ、暗闇に紛れているのがある意味気持ちよかった。居心地がよかった。無責任で居れたから。都合の悪いことは、あの人のせい。うまくいかないことはこの人のせい、世の中のせいと。被害者でいることができた。

 

 

でもね、何のために生きているのかということです。

何のために生かされているのかということです。

この命を与えてもらってるのに、「世捨て人で生きなさい」、というわけではないでしょう。

 

 

被害者でいるうちは、何にも見えていなかったのです。(何せ暗黒だから)

何も聞こえていなかったのです(何せ耳ふさいでますから)

 

 

いかにたくさんの愛情を与えられていたのか。

親からも、取り巻く人間関係からも、この世界からも、この宇宙からも。。。。

生まれてからずっと、毎瞬、毎瞬与えられ続けている奇跡のようなこの愛を。

 

ありとあらゆるものをほぼ無償で私はいただいていました。しかし、その愛やご厚意に感謝するどころか逆に文句を言っていたくらい。たくさんのモノを与えてもらっていたのに。

 

 

すべてがありがたい恩寵でした。

どんなに絶望してしまいたくなるようなひどいと思うことでも、今振り返り、思い返せば、すべてが溢れんばかりの愛で、ありがたい恩寵でした。すべての瞬間私は、祝福されていて、幸せな存在だったのです。

 

 

今まで与えられてきたものの、1%でさえお返しすることは、生きているうちには難しいかもしれません。

 

微力ながら、自分にできることをさせて頂きながら、誰かの命を輝かせるお手伝いをさせていただく。せっかく与えてもらった才能と技術、経験を必要な方のために使わせていただくという、残りの人生を私は選びました。

 

 

そうしたら、すべてが準備されていたように扉が開いていきました。

岩戸に隠れた天照大御神が天宇受売命の踊りで戸を開け、外の世界に踏み出したように!